いい会社にいるのに「なんか違う」。その感覚を8ヶ月放置した話
「なんか違う」って、言語化するのが難しい感覚だと思う。
不幸じゃない。評価もされている。給料も高い。客観的に見ればいい環境のはずなのに、帰りの電車でぼんやり「自分、何してるんだろう」になる。それを誰かに話そうとすると、「恵まれてるのに贅沢だ」と言われそうで、口をつぐむ。
外資コンサルにいたころの僕が、ずっとそういう状態だった。
コンサルはなんとなく選んだ
正直に言うと、コンサルを選んだのに深い理由はなかった。
早稲田でラグビーをやって、大学院まで進んで、就活の時期になったとき「優秀な人が行く会社に行けた」という感覚だけがあった。給料が高くて、同期が優秀で、「いいキャリアを歩んでいる」と思えた。それで十分だと思っていた。
自分が何に向いているか、何をやりたいか——そういうことをあまり考えていなかった。考えなくてよかったのかもしれない。レールが敷かれていたから。
26歳くらいのとき、初めてそのレールに違和感を覚えた。
「なんか違う」の正体は何だったか
「なんか違う」の正体は、誰かに「ありがとう」と言ってもらえる距離にいなかったことだった。
プロジェクトは動いていた。クライアントの評価も悪くなかった。でも帰りの電車でぼんやり「この仕事、続けていいのか」と自分に問うたびに、答えが出なかった。
数字を整理して、資料を作って、提言をまとめて、納品する。それ自体は悪くない。でも、その先で誰かの人生がどう変わったかを見届けることはなかった。「大きな組織の精度の高い歯車」として動いている感覚はあったけど、それで満足できない何かがあった。
あのころ、YouTubeでコンサルを辞めてキャリア支援の仕事に転向した人の動画を見て、なんか眩しいと思ったことがあった。「こういう生き方があるのか」という感じで。うまく言えないんだけど、あの動画を見て自分の気持ちを確認した気がした。
自分が得意なことと、自分が必要としていることが、ずれていた。
その感覚を言語化するヒントをくれたのが、『苦しかったときの話をしようか』(森岡毅)という本だった。コンサルを辞めようか迷っていた時期に読んで、「自分の強みが活きていても、自分が満たされていなければ意味がない」という話に刺さった。当時の自分は、「できること」と「やりたいこと」を混同していたんだと思う。
「なんか違う」を8ヶ月放置した理由
分かってはいたと思う。でも動けなかった。8ヶ月。
一番の理由は、転職する理由を言語化できなかったから。「なんか違う」は感覚であって、論理じゃない。年収が下がるリスクは具体的だけど、「なんか違う」という理由は曖昧すぎて、説明できなかった。
もう一つは、「次の会社もなんか違うかもしれない」という怖さ。今の会社が合わないなら転職すればいい、という話なのに、「そもそも自分が何に合うか分からない」という問題に気づいてしまった。
コンサルのブランドがない自分に何が残るか、も怖かった。「どこの会社にいるか」と「自分が何者か」を、ごっちゃにして生きてきたツケが出てきた感じだった。
感覚を言語化するには時間がかかる
結局、動けたのは「転職する理由」が揃ったからじゃなかった。
ある夜、ぼんやり「5年後もまだ同じ問いを立てているのか」と想像したとき、答えは出ていた。そこから決断まで3日だった。8ヶ月の迷いの落差が、今でも少し不思議だ。
あのころ感じていた「なんか違う」は、「自分が本当に必要としているものが、今の仕事にはない」という感覚だったと思う。感謝される距離感、顔が見える関係、言葉が届いた手応え。そういうものが、コンサルではほとんどなかった。
キャリア相談の仕事をしていると、同じ「なんか違う」を抱えて来る人に毎週会う。「こんな曖昧な理由で転職しておかしくないか」と言われることもある。おかしくない、と僕は思っている。
感覚は、言語化するのに時間がかかる。でも、その感覚を無視して続けることの方が、長い目で見ると高くつく。
コンサルを辞めてから、もうずいぶん経つ。「いい会社だったのに」と言われることが今でもある。そのたびに「そうですね」と答えつつ、心の中では少し違う、と思っている。いい会社だったかどうかより、自分に合っていたかどうかが大事だった。それに気づくのに、少し時間がかかった。それだけの話だ。