なんとなく就職して後悔した話。コンサルをなんとなく選んだ32歳が振り返る


なんとなく就職した後悔があるか、と聞かれたら——正直に言うと、ある。

ただ、「コンサルに行ったこと」を後悔しているわけじゃない。「自分のことをよく知らないまま場所を選んだこと」への後悔だ。その違いに気づくのに、少し時間がかかった。

「なんとなく選んだ」という感覚は、入社してすぐには出てこない。じわじわと、後になって、違和感という形で出てくる。その正体が分からないうちは、自分がおかしいのかと思ってしまう。

「なんとなく」の選択は、すぐには代償が出ない。時間をかけてじわじわ出てくる。だから気づいたときに、何が起きているのかが分かりにくい。3年目に出てきた僕の違和感は、「コンサルが嫌い」というよりも「何のためにやっているのかが分からない」に近かった。それがもう少し早く言語化できていれば、もう少し早く動けたかもしれない。


相談に来た人の中で、「なんとなく就職して、ずっとモヤモヤしてきた」という人がいた。30代に入って、「このまま定年まで続けるのか」という問いが急に現実感を持ち始めた、と言っていた。

その人の話を聞いていて、「なんとなく選んだ」という事実より、「なんとなく選んだという自覚がなかった」方が、後から影響が大きかったと感じた。自覚があれば、違和感が出てきたときに「自分に合う場所を探す」という方向に向かえる。自覚がないまま違和感を持つと、「自分がおかしいのか」という方向に向かってしまう。

なんとなく選んだコンサルの話

就活のとき、コンサルを選んだ理由をまともに言語化できない。

早稲田でラグビーをやって、大学院まで進んで、就活の時期になったとき「優秀な人が行く会社に行けた」という感覚だけがあった。同期が優秀そうで、給料が高くて、名前が通っていた。それ以上の理由を、当時の自分は持っていなかった。

自分が何に向いているか、何が好きか、どういう環境なら長く働けるか——そういうことを、ほとんど考えていなかった。ラグビー部での生活は忙しかったし、院に進んだのも「とりあえず」だった。就活の時期が来て、周りが動き始めて、自分もとりあえず動いた。「なんとなく」を選んでいたという自覚すら、そのころはなかった。

3年経って出てきた違和感

違和感が出てきたのは、3年目だった。最初の2年は充実していた。仕事はできるようになっていったし、評価もされた。「いいキャリアを歩んでいる」という感覚もあって、それがある程度心地よかった。

仕事は続いている。成果も出ている。でも週末に一人でぼんやり振り返ると、手応えと呼べるものが何もなかった。数字を整理して、資料を作って、納品する。その先で誰かが喜んでいるかどうかが、まったく見えなかった。

「なんとなく選んだ」ことの代償は、すぐ出てこない。じわじわと、後になって出てくる。

ラグビーが終わってから気づいたこと

ラグビー部での生活は、ある意味で「なんとなく選ばなくてもよかった時間」だった。

練習が中心の毎日で、「自分が何をしたいか」を考える時間がほぼなかった。でも不思議と「なんとなく」の感覚はなかった。ラグビーに集中するという選択は、なんとなくじゃなかった。

卒業して就活が始まったとき、初めて「自分が何をしたいか」を問われる場面が来た。でもその問いに答えるための材料が、ほとんどなかった。ラグビー以外で自分が何に反応するか、何に手応えを感じるかを知らなかった。だから「優秀な環境」という外側の基準で選ぶしかなかった。

就活でなんとなく選んでしまった背景として、「それ以外の基準を持てなかった」という側面があった。情報がなかったわけじゃない。自分についての情報がなかった。

後悔の正体

後悔の正体は、向き不向きを考えずに場所を選んだことだ。

そのせいで、自分に合わない環境に気づくのが遅れた。早めに気づければ、早めに動けた。それだけの話だ。

転職を決めるのに8ヶ月かかったのは、「なんか違う」という感覚を言語化するのに時間がかかったから。それは、自分のことをよく知らないまま就職していたせいだと今は思っている。

『苦しかったときの話をしようか』(森岡毅)を読んだのは、転職を考え始めたころだった。「できることと、やりたいことを混同しないこと」という話に刺さった。コンサルの仕事はできていた。でも自分が必要としていたものは、そこにはなかった。その区別が、当時の自分にはなかったんだと思う。

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感想(78件)

「なんとなく」を責めることはしない

今は、あのなんとなくを責めていない。

当時の自分には、当時の判断材料しかなかった。26歳までラグビーに打ち込んでいれば、自己分析に時間を使える余裕がなかったのも事実だ。

ただ、「なんとなく選んだ」という自覚がなかったことは問題だったと思っている。「自分で選んだ」と思い込んでいた。だから違和感が出てきたとき、「自分がおかしいのか」という方向にまず行ってしまった。

「なんとなく選んだ自覚がある」なら、違和感が出たときの対処が変わる。「この仕事が自分に合わないのかもしれない」という視点を最初から持てる。気づいていれば、変えられる。


「なんとなく」が続くと起きること

なんとなく就職した、だけで終わらない場合がある。

なんとなく選んだ職場で「なんか違う」という感覚が出てきたとき、「辞めていいのか」を考え始める。でもなんとなく選んだことへの自覚がないと、「何が違うのか」が分からないまま「とにかく嫌だ」という感覚だけが残る。その状態で転職しても、また「なんとなく選ぶ」になりやすい。

僕自身がそうだった。「コンサルが合わない気がする」という感覚はあったのに、「何が合わないのか」を言語化できなかった。だから「転職先を選ぶ基準」が作れなかった。8ヶ月迷い続けた理由の一つが、これだったと思っている。

「なんとなく選んだ」という自覚が生まれると、転職活動の方向性が変わる。「今度はちゃんと自分に合う場所を選ぶ」という意図が生まれる。その意図があるだけで、選ぶときの問いが変わる。「給料はいいか」より「この会社でなら手応えを感じられるか」という問いになる。


キャリア相談では、「なんとなく選んだ」という人によく会う。責めても意味がないから、次にどう選ぶかの話をする。そのとき必ず聞くのが「今の仕事で、誰かに感謝された経験がありますか」という問いだ。あるなら、合う要素がどこかにある。ないなら、環境を変えることを真剣に考えていい。

なんとなく選んだことへの後悔は、「次はちゃんと選ぶ」に変換できる。僕の場合は、そこに8ヶ月かかっただけだ。

「次はちゃんと選ぶ」と言っても、完璧な自己分析や完璧な就活が必要なわけじゃない。「自分がどういうときに手応えを感じるか」「何があれば仕事を続けられるか」という問いに、自分なりの答えを持っておくだけでいい。その答えが1つでもあれば、転職先を選ぶときの基準になる。

「なんとなく選んだ」という過去は変えられない。でも「次にどう選ぶか」は今から変えられる。その気づきが8ヶ月分の迷いの中にあった、と今は思っている。

「なんとなく選んだこと」を後悔するより、「次は何を基準に選ぶか」を考えることに時間を使った方が、ずっと先に進める。そういうことだと思っている。後悔を起点にして「次はちゃんと選ぶ」に向かえれば、なんとなく選んだこと自体が、キャリアを変えるきっかけになる。そこだけは間違いない。

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Syun

早稲田大学ラグビー部出身。大手外資系コンサルを経て、32歳でフリーランスのキャリアコンサルタントとして独立。サウナとルーティンをこよなく愛する。

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