仕事で同期と比べてしまう。落ち込む癖と向き合った話
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仕事で同期と比べてしまって、しんどい。
比べたくないのに比べてしまう。「あの子、もう主任になったんだ」「同期の数字、今月すごいな」——SNSや社内の噂話でそういう情報が入るたびに、なんか自分がじわじわ小さくなっていく感覚があった。比べてしまって落ち込む、という循環が、しばらく続いていた。
後輩の数字を無意識に比べていた
2年目の春、スタートアップに入ってから初めての後輩ができた。その子の数字が月ごとに伸びていくのを見て、「嬉しい」と「焦り」が同時にあった。
嬉しさの方が大きかった、と言いたいところなんだけど、正直半々だったと思う。チームの数字が上がることは純粋によかった。でも、後輩の先月の数字と自分の先月の数字が頭の中で並んでしまって、なんかもやもやした夜があった 😶
誰かと比べてしまうこと自体が、なんか恥ずかしかった。「こんなことで落ち込んでる自分、器が小さいな」と思って、さらに落ち込む。二重に消耗するやつ。
「比べる」の正体
比べてしまうのって、「今の自分が不安だから」なのかなと思うようになった。
自分の成長や立ち位置がはっきり見えているときは、そんなに他の人が気にならない。でも自分の数字が落ちていたり、自分が何をしたいかぼんやりしているときほど、他の人の動きが目に入る。比べてしまう頻度は、自分の状態のバロメーターみたいなところがある。
大手にいたころ、同期の昇進を聞いてもそんなに気にならなかった時期と、すごく気になった時期があった。気になったのは、自分が「このままでいいのか」とふわふわしていた時期だった気がしてる。
スタートアップに入ってしばらく経ったころ、読んだ『幸せになる勇気』(岸見一郎・古賀史健)に、「他者との比較は、承認欲求のもう一つの顔だ」という趣旨の話が出てくる。誰かと比べてしまうとき、その根っこには「認められたい」「ちゃんとやれている自分でいたい」という気持ちがある——という話で、なんか腑に落ちた 📖
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比べることが完全に悪いわけじゃないとも思ってる。誰かの成長を見て「私もやってみよう」に変換できるときもある。問題は、比べた結果が「落ち込む」だけで終わるとき。
「同じ土俵に立っていない」と気づいてから楽になった
同期でも、スタートアップと大手では評価の構造が違う。業界が違えば数字の意味も違う。そもそも何をどこまで頑張ってきたかは、外からは見えない。
そう考えると、自分と同期の数字を並べるのは、違う競技の選手同士のタイムを比べているようなもので、あんまり意味がなかった 🌿
いちばん楽になったのは、「半年前の自分より何か一個でもできてるか」に視点を変えたときだった。自分の軸で測ると、少しずつ積み上がっているものが見えてきた。
比べてしまう日の対処
今でも比べてしまう日はある。そういうときは、誰かと話すか、過去の自分の記録を見るようにしてる。
お客さんからもらったお礼のメッセージとか、半年前のメモとか。「あのときよりここが変わった」が一個でも見つかると、比べた落ち込みがちょっと薄まる気がする 🌱
比べてしまうこと自体は、たぶんずっとある。なくそうとするより、比べた後に自分をどこに戻すかの方が大事な気がしてる。
一個だけ付け加えると、「比べてしまう」という感覚を誰かに話したとき、「わかる、私もそう」と返ってきた回数が思ったより多かった。
みんな言わないだけで、同じことをやってる。SNSや社内で見えているのは、その人が出したい部分だけだから、比べる対象として使うには情報が偏りすぎてる。数字もポジションも、見えてる部分が全部じゃない。
仕事で同期と比べてしまって落ち込む日は、「自分がちゃんと前を向いているサイン」くらいに受け取るようにしてる。どうでもいい人のことは、そもそも比べない。比べてしまうのは、その人のことをどこかで意識しているから。それはそれで、自分の中の基準が上がってきている証拠でもあると思う。比べて落ち込んだ日の数だけ、前に進もうとしてきた日がある 🌿