仕事で頑張りすぎて疲れた。ひとりで抱えすぎていた話
※ 本記事はアフィリエイト広告を含みます。
仕事を頑張りすぎて疲れた、という感覚がある。
サボりたいわけじゃない。仕事が嫌いになったわけでもない。ただ、気づいたら限界まで来てた、みたいな。しんどいのに「もう少しだけ」と続けて、ある朝急にエンジンがかからなくなってる——そういう経験、私は何度かある。
誰にも言えないまま、ひとりで抱えていた
スタートアップ2年目の春が、いちばん消耗した時期だった。
大口の失注が続いて、数字が全然ついてこなかった。後輩も入ってきて、先輩として頼れる感じを見せなきゃというプレッシャーも重なって。でも、誰にも言えなかった。
同期には「そんな状態なの」と思われたくなかった。後輩には絶対に見せられない。上司には評価が下がると思って言い出せなかった。結果として、全部ひとりで抱えてた。
あのころ感じていたのは「疲れた」より「どこにも出せない」だった気がする。しんどいのに出力する場所がなくて、そのまま溜まっていく感じ。頑張りすぎて疲れる構造って、実は「頑張る量」より「抱える量」に関係してる部分が大きいと、後から気づいた。
「弱みを見せてはいけない」と思ってた
弱みを見せることが、ずっと怖かった。
アナウンサーの就活で全滅して、「人に評価される場所じゃなく自分の足で稼ぎたい」と思って営業を選んだ。だから余計に「しんどいです」と言うのが、負けな気がしてた。それが正しいわけじゃないと頭ではわかっていても、なかなか言えなかった。
頑張りすぎることの一部は、「頑張っていない自分になりたくない」という怖さが動かしてた気がする 😶
転職前後にやっと読んだ『幸せになる勇気』(岸見一郎・古賀史健)に、「認められることを目的にするとき、人は他者の基準の中で生きることになる」という話が出てくる。頑張りすぎる自分の根っこを見た気がして、なんか怖かった 📖
幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え2 [ 岸見 一郎 ] 価格:1760円 |
立て直しのきっかけ
2年目の春を乗り越えたのは、大したことじゃなかった。
半年ぶりに既存のお客さんに連絡して、「前回の悩み、その後どうなりましたか」と聞いたら「覚えてたんですか」と言ってもらえた。それだけだった。でも、その一件でざわざわが少し落ち着いた。「自分のやり方でちゃんとできる」という感覚が少し戻ってきた感じがあって。
頑張りすぎているとき、一個だけやること
あのころ振り返ると、頑張りすぎていたときに「一個だけ」に絞るのができていなかった。全部を同時に戻そうとして、全部が中途半端になっていた。
今は、消耗してきたと感じたら「今日はこれだけ」と一個決めるようにしてる。一個できたらそれでいい、もう一個できたらラッキーくらいで動くと、翌日のエンジンのかかりが変わる 🌿
あと、しんどいのを誰かに言えると、思ったより軽くなる。言えない場所にいるとしんどさは溜まるだけだから、言える人を一人見つけておくのが、今の私にとっては大事なことになってる。
頑張りすぎて疲れた状態って、真剣にやってきた証だと思ってる。サボってたら疲れない。消耗するのは、ちゃんとぶつかってきたからだと思う。
自分を責めるより、少し休ませてあげてほしい 🌱
頑張りすぎてしんどいとき、「このまま続けたら本当にダメになる」と感じるなら、それは体と頭からのサインだと思ってる。
私の場合、それを無視して乗り越えようとしたのが2年目の春だった。結果として数字も戻りが遅くなって、余計に長引いた。無理をして乗り越えた経験より、一回だけ立ち止まってみた経験の方が、回復が早かったと今は思ってる。
頑張ることをやめるんじゃなくて、一個だけに絞る。それだけで、翌日の動き方がだいぶ変わる。仕事で頑張りすぎて疲れたときに、私が今も使っている唯一の方法だったりする 🌿 ひとりで抱えすぎていると感じているなら、まず一個だけに絞るところから始めてみてほしい。少し楽になると思う。仕事で頑張りすぎて疲れているということは、それだけ本気でやってきた証拠だから。自分を責めるより、一個だけ休ませてあげてほしい。