帰りの電車で泣いたことがある。仕事でミスして立ち直れなかった夜の話
帰りの電車で泣いたことが、一度だけある。
入社3ヶ月目のことです。
仕事でミスしてしんどくなる夜って、こんなふうに来るんだってそのとき初めて知った。なんか、漠然と「仕事って怖いな」って思ってたのが、急に現実になった感じで。
その日、何が起きたか
大口のお客さんとの商談があった。初めて一人で担当させてもらった案件で、上司も同席してくれていた。
商談は悪くない雰囲気で進んでいた。でも途中から、私はメモをほとんど取れていなかった。緊張していたのか、話についていくのに必死で、気づいたら手帳がほぼ空白のまま商談が終わっていた。
帰り道、上司に呼び止められた。
「次回の提案、どうするつもり?」
何も答えられなかった。話した内容をほとんど覚えていなかったから。そこから静かに、でもはっきりと怒られた。「商談はメモが命だ」「なんのために同席したんだ」って。
正論だった。反論できなかった。
その場に立っている自分が、急に小さく見えた気がした。
電車の中でじわじわ来た
その場では「すみません」って言って、なんとかその場をやり過ごした。
電車に乗ったのが夜の8時くらい。座れた。窓の外が流れていくのをぼんやり見ていたら、じわじわ来た。
悲しいというより、恥ずかしかった。自分のダサさが嫌だった。「ちゃんとできると思ってた」という自分への過信と、「やっぱり無理だった」という現実が、電車の中でぐるぐるしていた。
泣いてる人って、電車の中に意外といるんだなってそのとき気づいた。みんな窓の外を見てた。私も見てた 🌙
涙が出てきたとき、止めようとしなかった。止められなかったのかもしれない。ただ、マスクを深めにかぶって、窓のガラスに映る自分を見てた。なんか、ちょっとだけ情けなくて、でも同時に「こんなにダメージ受けるくらい一生懸命やってたんだな」って思ったのも覚えてる。
立ち直り方なんて、正直わからなかった
翌日、普通に出社した。それだけだった。
「立ち直った」という感覚は正直なくて、ただ翌日も仕事があったから行った。上司には改めて謝って、次の商談に向けてメモの取り方を見直した。それだけ。
なんか「仕事でミスして 立ち直れない」みたいなことをその夜検索したりもした。出てきた記事は正直ピンとこなくて、立ち直れない自分がおかしいのかなって思いもして。でも当時求めていたのは答えじゃなかったんだと思う。ただ、同じように泣いた人がいるって知りたかっただけかもしれない。
劇的な気づきとか、誰かに助けてもらったとか、そういうことはなかった。ただ次の日も来て、また次の日も来て、気づいたらあの夜の痛さが少し遠くなっていた。
当時は「ちゃんと立ち直らなきゃ」って焦ってたんだけど、今思えばそういう焦りが一番しんどかった気がする。別に劇的に立ち直らなくてもよかったし、引きずったままでも翌朝来られたら十分だったんだよな、って。
あの夜があったから、変わったこと
今でも、商談前にメモ帳の準備は絶対にする。それだけは変わっていない。
あと、ヒアリング中に「ちょっと待ってください」って一度立ち止まる癖がついた。あのとき無理についていこうとしたのがそもそもよくなかった、と学んだので。お客さんにとっても、曖昧なまま進む方がよくないし。
失敗した夜の自分に、少し優しくなれた気もする。あのころは「なんでできないんだろう」って責めることしかできなかった。でも今は、失敗した自分を「そうか、まだ3ヶ月目だったんだ」って客観的に見られる。完璧にできなくて当然だった、というのが今ならわかる 🌙
ミスをした翌日、どう過ごしたか
翌日の出社が一番しんどかった。
朝、駅のホームで電車を待ちながら「今日また上司に会う」というのがプレッシャーで。怒られることよりも、「昨日のことをどう扱えばいいかわからない」という気持ちの方が大きかった。謝るタイミングも分からないし、普通に仕事の話をしていいのかも分からない。
上司はデスクにいた。私から「昨日はすみませんでした、メモの取り方を見直します」と言いに行った。上司は「わかった」とだけ言った。それだけだった。なんかそれが、あっけなくてちょっと拍子抜けした。
翌日もその翌日も、特に蒸し返されることはなかった。「ずっと引きずられる」と思ってたことが、思ったよりあっさり次へ進んでた。あのときの私には、それが少し意外だったし、救いでもあった 🌿
仕事のミスって、自分が思うより長く引きずらなくていいことが多い。相手にとっては「注意したこと」の一つであっても、こちらは何日も引きずってしまう。そのアンバランスに気づいたのも、あの夜のおかげかもしれない。
「ちゃんと立ち直らなきゃ」が一番しんどい
後から気づいたんだけど、あの夜しんどかった理由の一つは「ミスしたこと」自体じゃなくて、「ミスした自分をどうにかしなきゃ」という焦りだったかもしれない。
泣いたあと、スマホで「仕事 ミス 立ち直れない」って検索したりもした。「ポジティブに切り替えるコツ」とか「失敗を糧にする方法」みたいな記事がいくつか出てきて、全部ちゃんと読んだ。でも正直ピンとこなかった。「立ち直ったエピソード」を読んでも、そのとき私が求めてたのはそれじゃなかったから。
ただ同じように電車で泣いた人がいたって、それだけが知りたかったのかもしれない。答えじゃなくて、「自分だけじゃない」という感覚が欲しかった。
今この記事を書いてるのも、もしかしたらそういう気持ちからかもしれない。ちゃんと立ち直れなくていい。翌朝ちゃんと来られたら、それで十分だったんだよな、あのとき 😶
仕事でミスして泣きたくなる夜は、これからも来るかもしれない。でも、泣いた翌日も仕事に来た自分のことは、ちゃんと認めてあげていいと思う。
それだけで、十分すごいんだよって、あのころの私に言いたい。
ミスした自分への向き合い方が変わった
あの夜を経てから、「ミスをした自分」への向き合い方が少し変わった気がする。
以前は「なんでできなかったんだろう」という責め方しかできなかった。ミスの事実を自分の能力全体への証明として受け取ってしまってたから、一個のミスが「私は全部ダメだ」という話に変換されてた。
変わったのは、「ミスはミス、自分は自分」という切り分けができるようになってからだった。入社3ヶ月目にメモを取れなかったのは、緊張していて余裕がなかったからで、それは「私が営業に向いていない」とは別の話だった。当時はそれが区別できなかった。
自分を責めることと、改善策を考えることは、全然違う作業だということに気づいてから、ミスのあとに「次はどうするか」が少しずつ出てくるようになった。責め続けても何も変わらない。改善策を考えた方が、同じ時間の使い方として明らかに得だった 🌿
チームリーダーになってからは、後輩がミスをしたときにどう話すかをよく考えるようになった。「なんで間違えたの」より「次はどうしようか」から始める方が、後輩の反応が違う。それが分かったのも、あの電車の夜があったからかもしれない。自分が責められてしんどかった経験が、人への言葉の選び方を変えてくれた気がしてる。
ミスした夜の自分を責め続けていた私が、それを「材料にする」感覚に変わるまで、けっこう時間がかかった。でも変わった。そのことは、あのころの自分に伝えてあげたい。
仕事で泣く夜がある人へ。泣くくらい向き合ってる、ということだと思う。翌朝また来られたなら、それだけで十分だったよと、今なら言える。