新年度が来るたびに憂鬱になる。春が苦手な人へ
3月の終わりごろになると、なんか気持ちが重くなる。
新年度が近づいているのがわかるからだと思う。仕事の憂鬱というより、もっとぼんやりとした「また春が来てしまう」みたいな感覚。毎年のことだから少し慣れてきたつもりでいるんだけど、やっぱりある。
春が苦手だと自覚したのは、社会人になって3年目くらいだった。
「春が好き」って言えない後ろめたさ
春って、明るいイメージが強い。新しいスタート、さくら、前向きな空気。だから「春が苦手です」って言うのが、どこか申し訳ない感じがしてた 😶
「不安なだけでしょ」「みんなそうだよ」と言われそうで、なかなか口に出せなかった。でも正直に言えば、春になるたびに気が重くなってた。
入社してすぐの春は「慣れていないから」だと思ってた。でも2年目、3年目になっても同じような感覚が来て。これはもう慣れの問題じゃないな、とそのころ気づいた。
思い返すと、春のしんどさって「変化が多い」だけじゃなくて、「しんどいのを見せてはいけない空気」にもある気がしてる。みんなが前向きになってる中で、自分だけ重い気持ちを持ってる。その孤独感が、春をさらにしんどくする。
いちばんきつかった2年目の春
スタートアップに入って2年目の春は、今でもよく覚えてる。
担当が変わって、大口の失注も重なって、そこに新卒の後輩まで入ってきた。変化が一度に来すぎて、頭の中がずっとざわざわしてた。後輩には「先輩」として頼れる感じを見せなきゃと思うのに、自分の数字は全然ついてこなくて。
誰にも言えなかった。同期には見せたくなかったし、後輩には絶対見せられない。上司には評価が下がると思って言い出せなかった。結果として、ひとりでずっと抱えてた。
半年ぶりのお客さんへの連絡
あの春を乗り越えたのは、何か特別なことをしたからじゃなかった。
半年ぶりに既存のお客さんに「前回の悩み、その後どうなりましたか」と連絡したら、「覚えてたんですか」って言ってもらえた。それだけだった。大きな変化じゃないんだけど、その一件でざわざわが少し落ち着いて、少しずつ戻ってきた感じがあった 🌿
春が憂鬱だからといって、何かを変えなきゃいけないわけじゃない。ただ、自分にとって「一個だけ確かなこと」を見つけると、足がついてくる感覚がある。
「春が苦手」は、珍しいことじゃなかった
3年目の春に、初めてチームメンバーに「春、なんか毎年しんどくなるんだよね」ってぽろっと言ったことがあって。そしたら「わかる、私もそう」って即答された。
あ、みんな言ってないだけで同じだったんだ、と思った。
その日から少し楽になった気がしてる。春が憂鬱になるのは珍しいことじゃなくて、言いにくいだけで実は多くの人が感じてることなんだな、と思えて。
憂鬱でも、ちゃんと春を生き延びてきた
3月の後半になると、まだ気持ちが重くなる。毎年のことだし、たぶんしばらく続く。
それでも「また春が来たな」という感覚に、以前ほど抗わなくなった。憂鬱な気持ちをなくそうとするより、「今年の春も来たか」くらいの気持ちで受け取る方が、結果的に乗り越えやすかった。
新年度が憂鬱でも、仕事が嫌いなわけじゃない。弱いわけでもない。ただ春に、ちょっと重くなるだけ。そういう人が、世の中にたくさんいると思ってる。
春が苦手でも、毎年ちゃんと春を生き延びてきた。それだけで十分だと思ってる ✌️
一個だけ付け加えると、春が憂鬱な人ほど、春を丁寧に生きてる。流せる人はそもそも「春が来た」を大して感じない。しんどさは、感じているから来る。
今年の春も、重くなったら重くなったで、そういう春だったんだなと思えるくらいでいい。私はそれで毎年やってきた。
春のしんどさに気づいたのは体からだった
自分が「春が苦手」とはっきり気づいたのは、体にサインが出てからだった。
3月末になると、なんか睡眠が浅くなる。朝ちゃんと起きてるのに、ぼんやりした感じが続く。最初はただの季節の変わり目だと思っていたけど、3年続いて「これは春になるたびに同じことが起きてるな」と気づいた。
頭より体の方が先に春を感じていたのかもしれない。「4月がくる」という感覚を、言語化する前に体が受け取っていた感じ。
それに気づいてからは、3月の後半を「準備期間」として扱うようにした。大きな決断はしない。新しいことも始めない。今あることを淡々とやりながら、4月が来るのを待つ。そのくらいのペースで春を迎える方が、4月に少し楽に入れるようになってきた。春が憂鬱な気持ちを「克服する」のは難しいけど、「受け取り方を変える」ことは少しできた気がしてる 🌿
春を「一人で耐える」のをやめた
春が苦手と言えるようになったのは、チームメンバーに話したあの日からだったと思う。
「春ってなんかしんどくなりませんか」と言ったとき、「あ、私も毎年そう」と即答してくれた。それだけで、なんか春の重さが半分くらいになった気がした。しんどさって、一人で抱えているときの方が重い。誰かが「同じだよ」と言ってくれるだけで、不思議と軽くなる。
今は春になると、職場の誰かに「今年も4月が来ましたね」と言うようにしてる。大げさなことじゃなくて、ただそれだけ。でも「春が来た」を一人で迎えるより、誰かと確認する方が、毎年少し楽になれてる。
しんどさが軽くなるのは、解決したからじゃなくて、「一人じゃない」とわかったからだった気がしてる。春のたびにそれを確認できるようになってから、春が少しだけ違う季節になってきた。まだ好きとは言えないけど、以前みたいに恐れていない 🌱
毎年の春を、少しずつ違う気持ちで迎えられるようになってきてる。完全にしんどくなくなったわけじゃないけど、「今年の春はどんな感じかな」と少し観察できるようになってきた。それが変化だと思う。春が苦手なのは変わらなくていい。付き合い方が変わっていけばいい。
春が憂鬱になるのを「弱い」と思っていた時期があった。前向きな春のイメージに乗れない自分が、なんかダメな気がして。でも何年か経って気づいたのは、春に重くなる人は感じやすい人で、感じやすいのは仕事に向き合っているからだということ。
鈍くなれたら楽かもしれないけど、鈍くなったら今の仕事の面白さも感じにくくなる気がする。お客さんの微妙な反応を読んだり、雰囲気の変化に気づいたりするのが営業には必要で、それと同じ感受性が春をしんどくしてる側面もあるんじゃないかと思ってる。
春が憂鬱なのは、生き方の一部だと思えるようになってきた。毎年重くなってきた自分を、もう少し信頼してもいい気がしてる 🌱
毎年の春が来るたびに「また今年も来たか」と思う。それでも続けてきた。続けてこられたのは、しんどさの正体が少しずつわかってきたからかもしれない。春が憂鬱なのが「また来た」という馴染みのある感覚になってきたことが、今はむしろ春との付き合い方だと思ってる。
しんどいなりに、毎年春を越えてきた。それで十分だと、今は思う。今年の春も、そうやって越えていく。
春が苦手でも続けてこられた自分を、もう少し褒めてもいいのかなとも思ってる。明るい春のイメージに乗れなくても、毎年ちゃんと4月を始めてきた。それだけでいい。それだけで、十分だと思う 🌿
新年度が憂鬱になるのを何年か繰り返してから気づいたのは、「しんどい春」と「しんどくない春」を分けているのは、しんどさの有無じゃなくて、しんどさの受け取り方だということ。春が来るたびに重くなることを責めなくなってから、春が少しだけ軽くなった。毎年来るしんどさは、毎年乗り越えてきた実績でもある。