毎朝コーヒーを淹れることが、仕事の「入り口」になった話
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仕事の朝がしんどい、という時期がある。
「辞めたい」とか「行きたくない」という大きな悩みじゃなくて、もっとじわっとした感じ。起き上がって、顔を洗って、着替えて——その一連が全部重かった。出発前にもう頭が仕事のモードに入りすぎてて、玄関のドアを開けるころには疲れてた。朝からすでに、つらい 😶
そのころ、コーヒーを丁寧に淹れることを始めた。それだけなんだけど、少し変わった話をしてもいいですか。
助けてくれてたものが全部なくなった感じ
スタートアップに転職してすぐの3ヶ月が、一番しんどかった。
大手にいたときは、チームがいて、マニュアルがあって、「わからなかったら聞く」という流れが機能してた。上司の指示を受けながら動く形ができていたし、何かあったらすぐ誰かに確認できた。それが当たり前だと思ってた。
でもスタートアップに来たら、その仕組みがなかった。ないというより、まだ作ってる途中だった。右を向いても左を向いても手探りで、毎朝「今日何をすればいいか」を自分で考え続けなきゃいけなかった。
起きた瞬間から仕事が頭にいる、という感じ。仕事のことを考えたくないのに、考えないと動けない。そのループが朝からあって、だんだん朝の重さが積み上がっていった。
会社に向かう電車の中ですでに消耗してた。「仕事のことを考えないように」と思えば思うほど考えて、到着前にもうスタートラインに立てていない感じがあった。しんどい、という自覚はあったけど、何をすればいいかはわからなかった。
仕事のパフォーマンスが落ちてたかどうかも正直よくわからない。数字はそれなりに出してたと思う。でも「調子いい」という感覚が全然なかった。仕事はできてるのに、朝の重さだけが毎日積み重なっていく感じ。誰かに相談するほどのことでもないと思ってたし、言葉にしにくかった。
コーヒーを淹れてる間、頭が止まる
そのころ、出発前にコーヒーを淹れるようになった。
意図はそんなになかった。ただ「出発する前に、仕事のことを考えない時間がほしい」という感覚が先にあって、たまたまコーヒーだったと思う。
豆をひき始めると、ガリガリという音しかない。お湯を注いで、コーヒーがゆっくり膨らむのを見てる。香りが広がって、一杯分の時間が過ぎる。その間だけ、今日どう動こうというシミュレーションが一回止まる。
完全に止まるわけじゃない。でも「今は淹れてる」という状態になれる。
仕事モードに入りすぎた頭が、少し落ち着く感じ。積み上がってた朝の重さが、コーヒーを飲み終わる頃には少しだけ軽くなってた。なんでか、ちゃんとは説明できないけど。
飲み終わると「さ、行くか」がある
しばらく続けているうちに、飲み終わったときの感覚が変わってきた。
「行かなきゃ」が、「行けるかな」くらいになってた。小さい違いだけど、あの時期の私には結構違った。「今日も始められる」という感覚が、一杯分の後にある。それが積み重なった。
最初はただ手を動かしたかっただけで、こんなふうになるとは思ってなかった。「コーヒーを淹れることが朝の合図になってる」と気づいたのは、だいぶ後になってから。
誰かに話したら「気のせいでしょ」と言われそうで、しばらく自分だけの話にしてた。でも3年続いてるので、たぶん気のせいじゃない 🌿
丁寧にやらなくていい日もある
仕事が落ち着いてる時期でも、しんどい時期でも、毎朝淹れてる。でも毎回「丁寧に」やってるわけじゃない。
時間がある日は豆を挽くところからやる。でも余裕のない朝はドリップパックで済ませるし、ひどく疲れてる朝はインスタントのときもある。それでいいと思ってる。
こだわりがあるのはブルーボトルコーヒーの豆が好きということくらいで。届いた日だけちょっとテンションが上がって、丁寧に淹れたくなる。それくらいの話で、ちゃんとした「こだわり」じゃない。
しんどい朝ほど、なぜか丁寧に淹れたくなることに気づいた。猶予を作ってるのかもしれない。「これが終わったら行く」という、自分への許可みたいなものが必要なのかもしれない。
仕事帰りにカフェで一人コーヒーを飲む習慣もあって、あれは「仕事モードから出る合図」。朝のコーヒーは逆に「仕事に入る前の、最後の自分時間」という感じがある。出口と入口、両方にコーヒーがいる生活になってた。そういう人間もいる、ということで。
朝に「好きなもの」が一個あるだけで違う
このことを友達に話したら「わかる、私もそれある」と即答された。
友達の場合はコーヒーじゃなくて、好きな音楽を一曲聴くことだった。テレビをつけて天気予報を見ることだという人もいた。習慣の中身は人それぞれで、「コーヒーでないとダメ」ということじゃない。
ただ共通してたのは「仕事じゃないものを、仕事の前に挟んでいる」ということだった。
そっか、と思った。仕事に向かうエネルギーを全部「仕事のこと」に使うより、一個だけ自分の好きなものを通過してから出発する方が、なんか体が動きやすいのかもしれない。理屈というより、実感として。
しんどい時期の朝って、起きた瞬間から「今日もあれをやらなきゃ」が始まる。その前に「自分の時間がある」という感覚を少しでも作れると、朝がほんの少し違う。私にとってそれがコーヒーだったというだけの話で、たぶん何でもよかったんだと思う。
「ちゃんとしたルーティン」じゃなくていい
「朝のルーティンを整えよう」という言葉、どこか義務感があって苦手だった。
5時起きして運動して、健康的な朝食を作って、読書して——みたいなイメージが浮かんで、自分にはできないと思ってた。実際できなかった。試したことはあるけど、疲れた。
私がやってることは、コーヒーを淹れて飲むだけ。地味だし、毎日同じじゃない。完璧でもない。
あと、意外と「完璧にやれない日がある」というのが続けられてる理由な気がしてる。インスタントで済ませた朝に罪悪感がないから、途切れずに続いてる。「今日はドリップパックでいいか」と判断するだけで、やめようとは思わない。
でもこれが3年続いてる。ちゃんとしたルーティンじゃなくていいのかもしれない。「仕事前に、自分が好きなことを一個挟む」というのが、しんどい時期の朝を少し変えてくれた。
なんか、そういうことかもしれないな、と今は思ってる。自分の体と相談しながら、ゆるく続けることが、私には合ってたみたい。
今も毎朝やってる。しんどい朝も、そうじゃない朝も。
仕事が楽しい時期も、しんどい時期も、このルーティンだけは変わらなかった。「仕事が嫌だから続けてる」でも「好きだから続けてる」でもなくて、ただ習慣になってるだけという感じで。でもそれが、一番長続きする形なのかもしれない。
一杯分の時間があると、今日も少しだけ違う 🌱
最近はブルーボトルコーヒー公式オンラインストアで豆を取り寄せてて、届いた日の朝が一番好き。パッケージを開けたときの香りで、もうちょっと丁寧に淹れたくなる。