仕事でしんどいのに、誰にも言えなかった。弱音を一人で抱えていた時期の話
仕事がしんどいのに、誰にも言えないまま過ごしていた時期がある。
「最近どう?」と聞かれたとき、「普通だよ、なんかばたばたしてるけど」と答えてた。
あのころ、全然普通じゃなかったんだけど。
スランプが一番しんどかった時期、同期との昼ご飯でそれを言えなかった。上司との1on1でも言えなかった。後輩の前ではもちろん言えなかった。「しんどい」という言葉が、ずっと喉のあたりで止まったままだった。
なんで言えなかったかって、今振り返ると理由はいくつかあって。同期に対しては「見せたくない」という気持ちが強かった。後輩に対しては「先輩がしんどそうにしてたら不安にさせる」という心配があった。上司に対しては「言ったら評価が下がる」という恐怖があった。全方向に言えない理由があって、結果的に誰にも言えなかった 😶
「大丈夫」が口癖になっていた
あのころの私、「大丈夫」「普通だよ」「ちょっと忙しいだけ」を繰り返してた。
嘘をついてたわけじゃなくて、「大丈夫にしようとしてた」という方が近い。しんどいと認めてしまうと、もっとしんどくなる気がして。「大丈夫じゃない」を受け入れることが怖かった。
でもそれをやってると、なんか変なことが起きてくる。自分がどのくらいしんどいかが、分からなくなってきた。「しんどい」と言わない習慣がついてくると、しんどさのセンサーが鈍ってくるというか。「これ、本当はしんどかったよな」って気づくのが、ずっと後になってから、という経験が増えてきた。
後輩に気づかれた
チームリーダーになってしばらくしたとき、後輩のひとりから「なんか最近、無理してませんか」と言われた。
びっくりした。見えてたんだ、という感じで。「全然大丈夫だよ」と言いそうになって、でもなんか、そこでやめた。なんで止まったか自分でも分からないんだけど、「あ、気づかれてたなら隠しても意味ないか」という感じがした。
「ちょっとだけしんどい時期かもしれない」と言ったら、「そうだと思ってた、なんかいつもと違う気がして」と言われた。
なんかそれが、泣きそうになるくらい嬉しかった。気づいてくれてたんだ、見ててくれてたんだ、という感覚で。そしてほぼ同時に「こんなことになるなら、もっと早く言えばよかった」とも思った。
あのとき「言えた」のは、後輩に先に気づかれたからだった。自分から言えたわけじゃない。それがちょっと悔しいし、情けないような気もした 😔
「弱さを見せない」が作っていた距離
しばらくして気づいたのが、「弱さを見せないこと」が、意図せずチームに距離を作ってたかもしれないということ。
リーダーになってから「ちゃんとしなきゃ」という意識が強くなってた。しんどさを見せることは「ちゃんとできてない証拠」みたいに感じていて、それが無意識に「見せない」動きに繋がってた。
でも後輩の立場から見たら、リーダーがずっと「大丈夫」を繰り返してたら、自分がしんどいときも言いにくくなる。「先輩が平気そうにしてるなら、私のしんどさは甘えかな」ってなる可能性がある。
弱さを見せないことが「チームを守る」行動だと思ってたけど、実は「チームに距離を作る」行動だったかもしれない。うまく言えないけど、その気づきがけっこう大きかった 🌿
「言えない」の正体
転職1年目の終わりにしんどかった時期に、『反応しない練習』という本を読んだ。
仏教の思想をベースにした本で、「気にするな」と頭で思っても止まらないのは「反応を止めようとすること自体が反応だから」という話があった。しんどさを出すまいとして、弱音を飲み込もうとして、「弱い自分を見せてはいけない」という命令を自分に出し続ける——それ自体が消耗の原因になる、という内容だった 📖
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あのとき読んで腑に落ちたのは、「弱音を出そうとして止めること」がどれだけエネルギーを使うことか、というところだった。飲み込むのって、タダじゃないんだな、と。
弱音を一人で抱えていたあの時期、しんどさの大部分が「しんどいことを言えない状況」から来ていたのかもしれない。元々のしんどさより、「言えない」が積み重なってしんどくなってた。そういうことだったのかな、と今は思う。
「言える」が変わると「受け取れる」も変わる
後輩に少し打ち明けてから、なんか変化があった。
後輩がしんどそうにしているとき、前より早く気づけるようになった気がする。「最近どう?」という聞き方が、前より真剣になった。自分が「言えない」状態を経験してたから、「言いにくそうにしてる」の空気に敏感になったのかもしれない。
チームリーダーになって言われたこと、一番響いたのは「Yukiが遠慮してるの、なんか違う気がして」という代表からの一言だった。あのころは自分が遠慮してるという自覚がなかった。「ちゃんとしてる」つもりだったから。でも遠慮って、自分じゃ分かりにくいんだなとあのとき気づいた。
弱音を言えるようになったのと、チームのメンバーが打ち明けやすくなったのは、たぶん繋がってる気がしてる。「言える人がいる場所」は、他の人にとっても言いやすくなる。そういうものなのかもしれない。
しんどさは、貯めておけない
メンタル論みたいなことを偉そうに書いたけど、今でも全部が言えるわけじゃない。
「これは言わなくていい」「ちょっとくらい大丈夫」って判断することはまだある。全部吐き出せばいいとも思ってなくて、TPOみたいなものはある。
ただ一つだけ変わったのは、「しんどい」という感覚を否定しなくなったということ。以前は「しんどいと思う自分がいけない」という方向に行ってたんだけど、今は「しんどいなら、それはそうなんだな」とまず受け取れるようになった。
しんどさって、否定しても消えない。貯めておくと、いつかもっとしんどい形で出てくる。だから小さいうちに「ちょっとしんどい」と言える場所を持っておく方がいい——そう思えるようになったのは、あのスランプの春があったからだと思ってる 🌱
「仕事がしんどい」と言えないまま一人で抱えている人が、もしこれを読んでくれていたら。言えない理由があるのは分かる。でも、「言えない」こと自体がじわじわ消耗することも、知っておいてほしいと思う。
「しんどい」と言える場所を一つだけ持っておく
全員に言えなくてもいいと思う。全部吐き出す必要もない。
ただ、「この人には言える」という場所が一つあるかどうかは、だいぶ違う気がしてる。私の場合、それがあの後輩だった。正確には「気づいてもらって、やっと言えた」というだけで、自分から開けたわけじゃないんだけど。
それでも、言えた後の感覚が「もっと早く言えばよかった」だった。言えてよかった、じゃなくて、もっと早く、という方が先に来た。それが全部を表してる気がしてる。
しんどさを一人で抱える期間が長くなればなるほど、「これが普通なのかな」という感覚になってくる。しんどい状態が基準になる。そのズレに気づきにくくなる。だから早めに「ちょっとしんどい」と言える相手を持っておくことが、メンタルを守る上で一番シンプルで大事なことだったと今は思う。
チームリーダーになってから、メンバーに「しんどいことがあったら教えて」と伝えるようにしてる。そう言えるのも、自分があの時期に「言えなかった」と「言えてよかった」を両方経験したから。あのスランプは今の自分にとって、意外と大事な記憶になってる。