職場に苦手な人がいた。それを認めるまでに時間がかかった話
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その先輩がいる席の方向に歩くとき、なんか足が重くなる感覚があった。
「おはようございます」は言える。業務の話もできる。でもその人の近くにいると、普段より消耗する。言葉を選びすぎてるのか、表情を読みすぎてるのか。自分でもよくわからなかったけど、その人が席にいる日といない日とで、朝の気持ちがはっきり違った 😶
「苦手」ってちゃんと言えなかった
なんで「苦手」という言葉をすぐ使えなかったかというと、自分の器の小ささを認めてる感じがしたから、だと思う。
その先輩は、別に何かひどいことをするわけじゃなかった。話し方がちょっと棘がある、意見をはっきり言ってくる、指摘が細かい——それだけ。「嫌い」と言えるほどのことは何もなかった。
だから「苦手」とも言えないでいた。「ちょっと気疲れするだけ」「私が気にしすぎてるだけ」という説明でずっとごまかしてた。
でも本当は苦手だったんだと思う。それを認めるまでに、けっこうかかった。
何が苦手なのかを分解してみた
転職してから少し経って、ふとあの時期のことを思い出した。「あれ、何が苦手だったんだろう」と。
整理してみると、苦手の正体はだいたい2種類あった気がする。
ひとつは、コミュニケーションのリズムが自分と違いすぎること。話し方がきつく聞こえる、沈黙の使い方が違う、みたいな。「性格が合わない」というより、話し方の癖に近いやつ。
もうひとつは、仕事への感覚が合わないこと。「ここは柔らかく言った方がいい」「このタイミングで指摘するのはどうかな」という自分の直感を、その先輩はいつも平気で踏み越えてくる感じがした。それを見るたびに、なんか静かにしんどかった。
どちらも「嫌な人」という話じゃなくて、波長が合わないというだけ。今はそう整理できてる。
仲良くなろうとして、かえって疲れた
一時期、意識的にその先輩と話すようにした。
「苦手意識は距離からくる」というような話をどこかで読んで、試してみようと思った。ランチに誘ったり、業務外の話を振ったり。
でも近づくほど消耗した。相手のテンポに合わせようとして、自分のペースを崩してる感じがあって。「距離が縮まった」というより「自分が広げすぎた」という感覚だった。仲良くなろうとすることで、かえって苦手意識が強くなった 😔
やってみてわかったけど、全員と仲良くなれるわけじゃない。当たり前のことかもしれないけど、そのときの私は「努力すれば関係は変えられる」と信じすぎてた。
苦手なまま、距離を保つ
今は「苦手な人と仲良くなろうとしなくていい」と思っている。
冷たく聞こえるかもしれないけど、そうじゃなくて。苦手な人にも丁寧に接するし、仕事に必要なやりとりはちゃんとする。ただ「この苦手意識を解消しなきゃ」という義務感は、もう持たなくていい 🌿
仲良くなろうとしていたとき、私がやっていたのは「相手を変えよう」じゃなく「自分を変えよう」だった。相手のリズムに合わせようとして、自分の感覚を押し込めようとして。それがじわじわ消耗につながってた、と今は思う。
苦手なままでいいなら、適切な距離を保つだけでいい。最低限のやりとりを丁寧にする。それが、今の私にとってのちょうどいい関係の作り方になってる。
職場の苦手な人のことは、人に話しにくい。「嫌い」とは言い切れないから言語化が難しくて、「なんか苦手なんだよね」で終わらせると相手も「そうなんだ……」で止まる。
でも「苦手」を認めてからの方が、接し方が落ち着いた。「苦手だから距離を保つ」と整理できてから、会うたびに消耗することが少し減った。
苦手な人がいることは、おかしくない。苦手なまま、仕事を続けられる 🌱
そういう日の帰りは、コーヒーを淹れることにしてる。カフェに寄る気分じゃないときでも、自宅でドリップする10分くらいが切り替えの合図になってる感じがあって。最近はブルーボトルコーヒー公式オンラインストアで豆を取り寄せてるんだけど、それが小さな楽しみになってる。